ただ日々を記すもの

意識高めを装うことができます

「主張」と「協調性」

先日友人と飲んでいる時に、同期の話になった。
ありがたいことにその人は、空気を読む事よりも相手のためになることを考えられる人なので私はその話を聞いていて今年の目標をすることを決めることができた。

今年のテーマは「主張」と「協調性」。
学生時代の私は協調性をとりわけ重要視していた。空気が悪くなるのだったら自分のしたいことも我慢した。言いたいことも言わなかった。それがその場における正解だと思っていたから。

ただ去年1年間を通し強く感じたのは、自分が存在している意味なくね?ということ。まわりに合わせて意見し、行動する、集団の中の一員。そんな自分にオリジナリティなんてなかったし(正確に言うならあってはいけなかった)、そこにいるのが自分である必要性もなかった。そんな自分が情けなくなったのがひとつ目。

もうひとつは、本当に相手のために自分は動けているのかと疑問に思ったこと。相手を傷つけないように無難なことをいう。ショックを与えないために怒らない、注意しない。これでいい人になった気でいた。ただのプログラミングされたロボットだった。ただ自分はそれでいいと思っていた、でも、ふとした時に自分を必要としてくれてる人なんていないかもしれないと感じた。特にきっかけがあったわけではないけど、虚無感だったり、まわりを見ていてそう感じた。誰も私の言葉を必要としていないんだ。なぜなら私の言葉は曖昧な返事で、相手を傷つけないために優しく覆われた、そしてありふれた言葉だから。そんなの好き好んで求める人は珍しい。

そんなことから、自分の意見を少しでも言うように努めた。これはなかなか難しい。思っていることをはっきりと主張するのは、なぜだか罪悪感と後ろめたさがともなうのだ。何度も失敗し、何とか前より少し、世間的にわがままになれた。それが少し問題だった。意見を言うことで空気を悪くする場面が多くなった。もちろんそんなの気にしなければいいのだが、どうしても関わらなければならない人というのもいる。会社の同期、先輩などだ。意見を批判ととらえる人がおり、自分の意見は人を傷つけているのかもしれないと、空気とその人の表情で知った。あれほど得意だった協調性が今やその言葉を忘れてしまうほど薄れてしまっていたのだ。

何事もバランスだとよく言うが、ここでもそれが必要ならば、全くそれが出来てない。というよりも、すべてが中途半端なのだ。前よりは意見を持てるようになったと自分で思いこんでいるが、それも正直まだまだだと痛感する場面もある。もっと自分らしく、暖かい空気感を作り、すべての人がシナジーを生みだせる環境にしたい。

私は今年、今よりも自分の意見をもつ。
おごらず相手の意見に耳を傾け、相手の事を思った行動をする。
今年のキーワードは「主張」と「協調性」だ。